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東京地方裁判所 昭和39年(特わ)41号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

第一、本件公訴事実の要旨は、

被告人は、昭和三八年一一月二一日施行の衆議院議員総選挙に際し、東京都第四区から立候補した松本善明に投票を得しめる目的を以て、同年同月八日、同選挙区の選挙人である

(1)東京都杉並区和泉町三五三番地 鎌田重男

(2)同都同区同町同番地 眼竜美恵子

(3)同都同区同町三二七番地 浜野栄子

(4)同都同区同町同番地 中島美代

(5)同都同区同町三二四番地 大木たき

(6)同都同区同町四四三番地 村越静子

(7)同都同区同町三四四番地佐々木文子

の各自宅を戸々に訪問し、右候補者のための投票を依頼し、以て戸別訪問をしたものである。

というにある。

第二、無罪の理由

一公職選挙法第一三八条第一項は、主体の何人であるを問わず、選挙運動として、投票を得しめ又は得しめない目的を以て選挙人を戸々に訪問することを禁じ、同法第二三九条第三号は、同法第一三八条第一項に違反して戸別訪問をなすことを処罰する旨規定している。

右の選挙運動としての戸別訪問は、本来言論による投票依頼をその中核とするものであると考えられるので、これを禁止することは選挙という領域における言論の自由を制約することになるおそれがあるものである、といわなければならないので、戸別訪問の禁止は、これを言論の自由の制限の問題として考える必要がある。

二我国憲法上言論等表現の自由(以下言論の自由という)が最も重要な基本的人権として保障されていることは、論をまたない。従つて、言論の自由に制限を加えることが可能か可能とすれば如何なる制限が可能か、は特に慎重な考慮を要する。

ところで、言論の自由と雖も、その行使に何等かの制限が存することは、一般に認められるところである。即ち、公共の福祉との関係で、第一説は、憲法第一二条、第一三条を根拠として、言論の自由が公共の福祉により制限されうるとし、第二説は、言論の自由は絶対無制限であつて、憲法第一二条、第一三条を根拠として公共の福祉によつて制限しうる、とすることもできない(この説においては、憲法第一二条、第一三条は、基本的人権の行使について国及び国民がとるべき態度および基本的人権の行使についての指導観念としての公共の福祉についての教訓的規定であると解する)としながらも、尚言論の自由の濫用は認められない(内在的制約)、或は言論の自由の行使が他の基本的人権を侵害する場合には、その両者の間の調整を要する結果、言論の自由が制約せられることがありうる、とするのである。而して、右の両説を対比すると、一見、言論の自由が制限されうる範囲に差異が生ずるようにも解せられるが、第一説においても、すべて公共の福祉による制限は必要最少限度に止めるべきものであるとしており、当裁判所は、近代民主主義憲法たる我国憲法においては、国家は各個人の基本的人権の尊重とその保障をその存在理由とするものと解すべきであり、そうである以上、公共の福祉の観念は、個人の利益に優先する、或は対立する国家の利益と解すべきではなく、各個人が亨有すべき基本的人権の調和ある総合とでも解するのが正当であると考えるので、公共の福祉を右のように解する限り、右第一説の説くところも、畢竟第二説の説くところと実質的に異るものとはならないといいうる。(尚第二説にいう自由の濫用を禁ずる法理又は調整の原理を指して公共の福祉と呼ぶこともある。)右の考察に照らし、公共の福祉という多義的な概念にとらわれず実質的に考えると、憲法の精神に照らし、憲法がその自由を保護すべき言論と呼ぶに値しないような言論の行使については、憲法上の言論の自由の保障とかかわりなくこれを制限しうることは勿論であるが、いやしくも言論と呼びうるものである限りは、その行使により、他の基本的人権に対し、その行使の制限により生ずべき害悪に比し重大な害悪を与えるような場合に限つてこれを制限しうる、と要約することができる。

更に、言論の自由を事前に制限し、その違反行為に対し処罰しうるとするためには、言論の自由の重要性に鑑み、これを不当に制約させないため、最少限度、言論の自由な行使により右のような重大な害悪が不可避的に生ずるという緊急の切迫した危険があり、それを制限すること以外の方法でその発生を防止しえない場合であること(以下明白にして現在の危険という)を要するものと当裁判所は考える。言論の自由を制限すべき政策的合理性とか、言論のもつ危険性とかの存在のみでは右制限の根拠たりえない。

然らば、言論の自由を制限する規定であつて、その言論が一般的に右のような要件を充たさないようなものは違憲の立法というべく、そうはいいえないときでも、構成要件として右の要件が前提として含まれていると解した上適用される場合初めて合憲的である、といわなければならない。

三選挙制度は、国民の参政権行使の手続を決定する重要な制度として民主政治の根幹をなすものであるが、言論の自由は、この領域においても、選挙運動の自由等選挙における諸原則を形成する。選挙運動は、本来言論を中核とするものというべきであり、原則として自由であるべきものである。然し、選挙における言論の自由も、前記の言論の自由の制限の法理に従い、法の前の平等及び言論の自由に基き憲法上保障されるべき選挙権、被選挙権の資格の平等やその行使の自由を侵害することによつて選挙の目的達成のため必要な選挙の自由と公正に重大な侵害を及ぼす明白にして現在の危険がある場合には、最少限度必要な範囲において制限されることがあるものといわねばならない。而して、我国実定法上、選挙における言論の自由が制限され、その違反が選挙犯罪とされる態様として、当該選挙運動自体が実質的に違法性、反社会性を有するもの(例えば買収罪)と選挙の公正を期する目的のための取締規定に違反するものとして選挙犯罪とされるものとが存するが、前者の場合(実質犯)においては、前記の基準に照らし違憲の問題を生ずる余地はないが、後者(形式犯)については問題が多い、と考えられる。

四そこで、以上の考察に基き、前記の戸別訪問罪の規定が果して合憲であるか乃至は合憲的に適用されるために如何なる要件が必要であるか、について検討する。

戸別訪問は、前述のように、言論を中核とする選挙運動であつて、原則として自由であるべきものである。而も選挙が公正健全に行われるためには選挙人において、候補者の政見、人格識見、経歴、手腕等につき、又その所属する政党等の政策を正確に把握した上での判断に基き選挙権を行使することが第一に必要とせられるところ、戸別訪問は、その本来のあり方においては、選挙人に対し正に右の知識、判断の資料を直接提供し、その共感を得て候補者に対し投票を得させる等の効果を企画するものであるから、前記の公正健全な選挙を行う目的に役立つ最も有用な手段であるというべきであり、そのこと自体選挙の公正と自由を害し違法な性格を有するものであるとはいいえない。

然るに、戸別訪問罪の規定が設けられている合理的理由は、通常説かれるように、戸別訪問にあたつて、その本来のあり方を逸脱し、選挙人に対する買収、威迫、利害誘導等選挙の自由と公正を害すべき実質的違法行為が行われる虞れがあり、又徒らに戸別訪問がなされるようになると、候補者自身煩に堪えないと共に、選挙人の個人の安静を害される虞れがあるので、これ等の弊害を防止しようとする点にある(法定外文書図画頒布罪も言論の自由の制限になるが、その行為自体所謂金権候補を不当に利することになり、選挙における平等を侵害する虞れがあるので、この弊を排除しようとする法意であると考えられるが、戸別訪問罪の規定についてはこのような法益は考える余地が殆んど存しない)と考えるほかない。(この意味で戸別訪問罪は正にいわゆる形式犯に属するものというべきである。)

ところで、戸別訪問が右のような弊害を伴う虞れが(その程度如何はともかくとして)存することは否めないが、そのような法益の侵害が前記のような言論の自由の制限の要件となりうるかについて考えてみる。戸別訪問に際しての買収、威迫、利害誘導等(これらは戸別訪問による直接の人権侵害とはいえないにしても、両者の間には因果関係は存するといわねばならない)は、もはや言論の自由の名に値しないもの或は言論の自由の濫用というべきものであるか、少くとも選挙人の基本的人権である投票の自由等選挙権行使の自由を侵害し、その結果選挙の自由と公正を著しく害するものであることが明らかであり、言論の自由の制限の要件たりうる害悪を生ずるものといわねばならないが、他の法益侵害、即ち、候補者自身が煩らわしさに堪えないという点や選挙人の個人の平静を害するという点については、後者については若干選挙人の人権を侵害することはありえても、なお言論の自由の制限により発生する害悪と比較し、これより重大な害悪を発生させるものとはいいえず、いずれも言論の自由を制限する要件とはなりえないものと解する。

次に、戸別訪問において右のような重大な害悪を発生させるべき明白にして現在の危険があるといいうるか、について考えると、我国の現下の国民の政治意識の低さが右のような戸別訪問における重大な害悪を生ずる虞れを大にしていると説かれることが多いが、現下の我国において、戸別訪問の結果不可避的に右のような重大な害悪を生じているということは勿論、多くの場合に右のような害悪が生じているということすら、経験則上明らかであるというこは到底いいえない。

従つて、戸別訪問罪の規定は、それがあらゆる戸別訪問を禁止するものと解する限り違憲の疑いが濃い。個々の戸別訪問につき、その戸別訪問の際の主観的、客観的諸事情を個別に観察して、その戸別訪問により前記のような重大な害悪を発生せしめる明白にして現在の危険があると認めうるときに限り、初めて合憲的に適用しうるに過ぎない、と解すべきである。

五そこで、叙上の法理に照らし、本件の戸別訪問につき合憲的に前記法条を適用しうるかについて考察する。

<中略>

右被訪問者若しくはその家人は被告人の近隣に居住し、被告人の顔見知りで、その多くは被告人がかつて署名運動等のため訪問したことのある者であり、訪問の時刻は午前一一時頃から午後一時頃までの間、訪問時間は一、二分から三〇分位までであり、被告人は被訪問者方の玄関、縁側で被訪問者と面接していることが認められる。

次に、被告人の本件各訪問の目的について考えると、<証拠>を総合すると、被告人は、核戦争の危険から婦人と子どもの生命をまもる等五項目を目的とする全国的婦人組織である「新日本婦人の会」(昭和三七年一〇月結成)の地域組織として昭和三八年三月一六日設立された同会の杉並区代田橋さつき班に設立当初から所属していたものであるが、従前から抱いていた平和を守るという信念に基き、右班設立当時から右会の重点的運動として展開されていた米原子力潜水艦の日本寄港反対運動に積極的に参加し、右会の決定した右運動の主要な方法である戸別訪問による署名運動に従事していたものであるところ、本件訪問の前日右班における打合せに従い、右署名運動をなす目的を以て本件各訪問をなすに至つたが、その訪問にあたつて、当時すでに選挙戦の始つていた衆議院議員総選挙の候補者中右会の目的、方針に合致する政策を有する候補者個人の当選のため努力する旨の当時の右会の方針に従い、被告人が右趣旨に沿い、且米原子力潜水艦日本寄港反対の主張を掲げ、前記運動を成功させるためその当選が有効であると考えていた松本善明候補者に対する投票の勧誘をも併せ行おうと考え、本件各訪問を実質的に関連する右二つの目的を併せもつてなしたことを認めることができる。

更に、本件各訪問時における被告人と被訪問者との応答について考えてみると、前掲各証拠により、特に被告人との応答を避けた鎌田重男の場合を除き、他はすべて、繁簡の差はあるが、被告人は、まず米原子力潜水艦日本寄港反対の趣旨の説明をして署名を求めたのち、選挙の点に触れ、且応答の時間は概ね前者が長く、後者が短いことが認められる。

本件訪問についての右被告人と被訪問者との関係、訪問の時と所(比較的公衆の目に触れ易い状況で行われたと認められる)、訪問の目的及び訪問時の被告人と被訪問者との応答の態様を総合すると、被告人の本件訪問により買収等前記のような実質的害悪を発生させるような明白にして現在の危険が存したことは、到底これを認めえず、且その他被告人が本件各訪問前前記のような違法な方法による投票勧誘を企図したこと乃至は訪問時右のような方法を用い又は用いんとしたことを窺わせるに足りる証拠は皆無である。

六然らば、被告人のなした本件各訪問は、これに対し前記罰条を適用することを合憲ならしめる要件を欠くものであり、犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法第三三六条に則り被告人に対し無罪の言渡をすべきものである。

よつて主文のとおり判決する。(環 直弥)

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